29 倶留尊山(1038m)





倶留尊山(1038m) <室生火山群>

【くろそやま】三重・奈良の県境をなし25kmに連なる室生火山群の主峰である。山名は自然信仰の名残と思われる倶留尊石仏から来ている。東の三重県津市美杉町側は柱状節理の見られる急な断崖を形成しているのに対し、西の奈良県宇陀郡室生村側は曽爾高原と呼ばれるなだらかな草原帯で、お亀池を中心にした池の平はススキで有名な景勝地になっている。

初めて大阪山友クラブ例会で登った時は東側の上太郎生からで、雨の中の山行だった。『…上太郎生で降りて広い道を傘をさして歩く。開墾地から山道になり、少し急な道を歩いて亀山峠へ。(ここまでノンストップ)。稜線で昼食。付近はワラビが一面に顔を出していた。なだらかな稜線を二本ボソへ。ちょっと双六辺りを思わせる楽しい登り。ここから、いったん心配になるほど下り、林の中の滑りやすい道を登ると、倶留尊山頂上だった。キリションで展望効かず、すぐ下る。亀山峠に近づく頃ガスが晴れ、眼下にお亀池、前に国見、高見の山々が見える。スケールは小さいが美しい景色だった。傘をさして街道へ下る。(69.05.25)
 その後、バス利用のときは殆どこちら側のルートだった。
1972年には幼稚園児で亀山まで登った子供たちも、小学校高学年になった5年後はテント泊で倶留尊山に登った。1977年5月7日、同じ家族構成のご近所のSさんと8人で、狭い林道を倶留尊高原へ登り、二張りのテントを張る。見事な夕焼けに住塚から鎧の稜線が黒々と浮かび上がり、やがて降るような星空に変わる。夜、野犬がうろついたり、他のテントで3時から起き出す奴がいたりで、あまり眠れなかった。
8日。ウグイスや名も知らぬ野鳥のコーラスで夜が明ける。朝食後、撤収して倶留尊へ。雲一つない快晴。お亀池より稜線に向けて直登。
 快調に二本ボソへ登り、いったんコルヘ下って最高点へ向かう。ツツジの紅、アセビの若葉の薄紅が新緑と競い、イワカガミやスミレの可憐な花が登りの苦しさを慰めてくれる。頂上よりの眺めも申し分なく、みんな満足。
 帰りは峠から亀山へ登り、連休の最期を楽しむ人で賑わうお亀池で遅い昼食をとり、帰途につく。
その後も何度か登ったが、すべて昔の林道が立派な車道となった奈良側からのアプローチである。
 
1982年5月には77年のキャンプサイトは大きな駐車場になり、亀山峠に大きな展望図が立っていた。それでも付近ではワラビやゼンマイがビニール袋一杯に重くなるほど採れた。
 その後、池ノ平周辺は年を追うごとに整備され、近くには「国立・曽爾青少年自然の家」などが建設された。

 
←稜線から池の平を見下ろす。正面に連なる曽爾の山々は左から住塚山、国見山、兜岳、鎧岳。(Oct.2004)
この山は草原が緑もえる春も良いが、やはり曽爾高原のススキが銀色に波うつ秋が登山の好季である。


2001年に行くと二本ボソの下で入山管理料500円が必要になっていた。



(紅葉の山頂・Nov.2001)
最近では2010年11月に二人で登った。
 池ノ平の遊歩道に鉄柵とライトアップ用の灯篭がずらりと並び、道幅も広くなっていた。何人ものカメラマンが三脚を立てて逆光に光るススキを狙っていたが、残念ながら前の年に比べても極端に少なく貧弱なススキ原に変わっていた。
快晴で二本ボソからは伊賀富士・尼ヶ岳、大洞山。東側には伊勢の局ヶ岳や高見山の鋭鋒も見えた。

帰りは吹き飛ばされそうな強風の亀山を通り、40年前の思い出を辿りながら、紅葉の林の中を下った。


私の関西百山
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