21 御在所山(1212m)





【ございしょやま】別称・御在所岳、菰野山など。鈴鹿山脈中央部にあり鈴鹿の主峰、また盟主と呼ばれている。山名の由来は「倭姫命(垂仁天皇皇女)が山頂に天照大神の御霊を仮安置した御在所(みあらか)を置いた」という地元の伝承による(新日本山岳誌)。表道、中道、裏道をはじめ、子供たちや義父母、友人などとロープウェイ利用で登ったことも含めるとかなりの回数になるが、特に思い出に残る山行を記しておく。



↑右から二人目変愚院         第1ルンゼ→
<藤内壁で冬山トレーニング>(1962. 02. 04)
藤内壁は、古くから関西岳人たちにとっての岩の道場である。2月3日、S高山岳部OB会の仲間たちと藤内小屋に泊まった。快晴の翌4日、藤内壁1ルンゼ、中俣、3ルンゼなどで氷瀑の感触を楽しみながら、ザイルワーク、アイゼンワークを練習する。このとき初めてナイロンザイルを使った。それまでの麻ザイルに比べると雪も付かず、しなやかで快適だった。最後の稜線に出るところがシブく、腕力を頼りに攀じ登る。上からスキーヤーが驚いた顔で見物していた。
<イチニ、イチニで記念山行>
20世紀最後の年は平成12 年で、標高の1212mにちなんで、12月12日12時12分に頂上で低山俳諧派のオフ会があった。鈴鹿スカイラインに入ると路面は雪で凍結している。ゲートの少し上でTさんの4DWに乗り換えて中道登山口まで上る。大きな花崗岩の点在する尾根道を行くと、時に吹雪いたり、強い突風が雪を舞いあげたりして寒気が肌を刺す。負レ岩を過ぎた所で男性が引き返してきた。「地蔵岩まで行つたが、その上はかなり厳しいので…」ということだった。
飛雪と吹雪になり、凍結している箇所もあって無心に登る。灌木帯を登り大きな岩の上に出る。
 岩場は右手の藤内壁側のクラック状の所を急降下するが、鎖はあるものの岩が凍結していて嫌な所だ。慎重に下り終えて鞍部から急坂を登り返す。灌木帯に入ると、雪は次第に多くなるが良く締まっていて歩きやすい。長い鎖のついた岩場を過ぎて振り返ると、一ノ谷新道の通る尾根はガラス細工のような霧氷の林で、その上に鎌ヶ岳が顔を見せている。
 雪を被った熊笹が出てくると山上公園の東端に出た。
  雪景色の遊歩道をレーダードームや売店のある朝陽台へ。ここは樹氷で有名なだけに素晴らしい景観だ。ここでK、S両氏と合流、5人で山頂三角点に向かう。
 混み合う前にと、Tさんが取り出した1と2のシールを胸に貼って正午ジヤストに記念撮影。12時12分にはメンバーは8人になり、改めて記念撮影のあと「かもしかセンター」まで降りて昼食。
 全員で雪の深い表道を下る。企画から下見までして下さつたTさんのお陰で、心に残る記念の山行ができたことを感謝しつつ家路についた。
(2000.12.12)
<復活の山>
2009年8月、雨の四阿山、根子岳で膝を痛めてから2010年5月まで、矢田丘陵以外の山歩きはできなかった。毎年秋の富士登山も二年間ブランクがあったので、そのトレーニングに御在所岳へ。
 はじめて一ノ谷新道を登る。この道はガイドブック(アルペンガイド鈴鹿・美濃)には『足腰に自信のない中高年にはあまり薦められない』『膝の悪い中高年の人は難渋しそうだ』と記述されている。しかし、どの程度体力が復活しているか試す意味もあって、あえて挑んだ
最初からかなりの急勾配で掘割になったようなところが多い。木の根や幹を掴んでぐいぐい高度を上げる。
 暗い樹林の中に時々大きい岩が現れる。マッタケ岩は自然の作った奇石である。
 「展望所」からまた樹林の中の急登が続く。一息つきたくなる頃、大きな岩が何本か直立していて「鷹見岩」の標識があった。恵比寿岩の標識からは、さらに厳しい登りになる。長い鎖場やロープ、ハシゴも出てくる。
木の根や幹も頼りにぐいぐいよじ登っていくと、ようやくクマザサが出てきて頂上部も近いかと楽しみになる。左に尾根を捲いて少し下り、最後の急坂を上って山上公園の一角、レストランの前に飛び出した。
 頂上は夏休みの家族連れでにぎわっていた。1212m三角点標識の前でしばらく待ったが、霧が晴れる見込みはなさそうなので引き返す。
東の朝陽台も大勢の人で賑わっていた。
 中道への降り口にあるベンチで昼食を済ませ、富士見岩へ行ってみる。足元にイノシシを従えた古い石仏は健在だったが、ここも展望はゼロだった。
 登りの一ノ谷新道と違って中道は登山者が多い。何度も道を譲ったり、あとから来た人と前後したりした。特に新しいウエアや靴の若い人が多い。中にはレジャー気分でちょっと危なげな人も見かけたが、ともあれ一時は中高年に占領されていた山に、若い人の姿が増えたのは喜ばしいことだ。
年相応にタイムは気にせずに歩くように努めたが、それにしても特に下りは足元が見え難くて(2009年緑内障手術)少し時間がかかった。しかし岩場の登降では何の不安も感じず、心配した足も膝も全く痛まなかったので、少し自信を回復できて収穫のある山行になった。(11.08.04)

私の関西百山
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