天空の都 ・ 拉 薩 紀 行




2006年5月19日(金) 関空へ。幸ちゃんと三人で長い時間を過ごし、14時半に北京へ着く。ここでもう一人の同行者、恵那市のN君がいることを知る。実に礼儀正しい好青年ですぐうち解け、旅行中も何の違和感もなかった。成都でスルーガイドの雷鳴君(本名!)と合流、銀河王朝大酒店で一泊する。
5月20日(土)曇り。

早朝、朝弁当を持ってラサへ。(機内食があったので弁当はザックに入れたまま)11時頃、ラサ空港で現地の女性ガイド、楊(ヤン)さんと合流する。

車は荒涼とした景色の中を走る。路傍に咲く紫色の美しい高山植物は「ショウ」と呼ぶ。ヤルンツァンポ河の支流・キチュ川の川風に、五色のチョルテンが翻っている。
 
川沿いに点在する村をいくつか通り抜け、ネタンに来る。岩壁にカラフルな大仏が描かれている。白いゴミのように見えるのは、大仏に捧げられたカタである。

「どうしてあんな高いところまで付いているの…」と不思議に思った和子がヤンさんに訊ると、「石をくるんだカタに粘土をつけて投げ上げる」という答えだった。もの凄い投擲力…これでコントロールが良ければ、わが阪神タイガースのピッチャーとして欲しいところだ。
市街地が近づくにつれて車が増えてきた。想像したよりも遙かに大都会である。自転車やリキシャも走っているが、最新の欧米車、日本車が幅を利かせている。それにしても、乱暴な運転が多いこと。右側通行だが、左折してきた白い車が急に正面に現れた。私たちの車のドラバーさんは、こんな状況を苦もなくスイスイかわして行く。

ラサ滞在中の宿「ラサ・ホテル」は市内一の高級ホテル。ホテル内にプールまであったのには驚いた。
ホテルの周囲には露天のお土産屋さんが、ずらりと並んでいる。ライさんとヤンさんから、今日は「高度順化」のため、どこへも出歩かないようにと忠告され、おとなしく部屋に籠もることにした。

高度の影響があるのか、少しふらつく。夕食はホテルでバイキング。やや貧弱な内容だったので、部屋に帰って機内食で補充する。十分に水分を取り、ダイアモックスを飲んで眠ったが、副作用の尿意を催して何度か目を覚ます。
21日(日)曇り。
ラサ観光の初めにノルブリンカを訪れる。ノルブは宝、リンカは公園の意味で、ラサ・ホテルの南側に広大な敷地を誇っている。2001年、世界遺産に登録された。ゲートを潜ると、ラサでは珍しい緑豊かな庭園が拡がる。

ノルブ・リンカは1755年、ダライ・ラマ七世の時に建築された法王の夏の離宮だが、メインは「タクテン・ミギュル・ポタン」である。
 
ダライ・ラマ一四世は、1954年に完成したこの宮殿に僅か5年間、暮らしただけで、ブラッド・ビッドの映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で知る通り、この宮殿を脱出してインドに亡命した。入口正面の時計はそのとき止まり、今もその時刻を指している。

内部は豪華な謁見室を初め、法王の居室、応接室、寝室、トイレまで公開されていたが、残念ながら写真は撮れなかった。
ノルブ・リンカを出て、いよいよポタラ宮に向かう。

東西360m、南北300m、高さ115mの宮殿は、世界遺産に登録されたチベットの象徴であり、チベットの宝である。

「ポタラ」は観音菩薩が住まう地の意味で、那智・補陀洛山寺の名もここから来ている。歴代のダライ・ラマは観音の化身として崇拝され、ポタラ宮は長い間、チベット宗教と政治の中心地であった。
 
今回の旅行で二人が一番行きたかったところだが、観光客には入場時間が制限されていて、予約が必要になる。時間をスタンプした許可証を手配して貰い、大勢の巡礼者に混じって、高い丘の上に立つ宮殿を目指して、石畳の参道を登る。

さすがに3600メートルを越す高度では、少し急ぐと息が切れる。ゆっくりゆっくり山登りの要領で歩く。

途中の展望台からはラサ市街が一望され、その上に雪をいただく山々が聳えていた。
登り着いた正面は、宗教(聖)部門の中心「紅宮」の入口である。(政治「俗」部門の中心・白宮は2003三年から修理中で見学できない)

その右手の建物手前に有名なチベット式トイレがある。開放式でもの凄く深い穴が開いていて、あまりの臭気と不潔さに急いで飛び出した。

紅宮は下から数えると13階建だが、入口は「偉大なるダライ・ラマ五世」を祀る9階にある。ここを一階と数えることもある。
 
急な階段をひとまず12階まで上って(屋上の13階も現在工事中)、各階を見学しながら下っていく。それぞれの階には各代のダライラマのミイラを納めた霊塔や、極彩色のお堂、珍しい立体曼荼羅などが配置されていて、中でも五世ダライ・ラマの聖塔は、4s近い黄金とまばゆい宝石で飾られた豪華ケンランなもので目を奪われる。

写真撮影は一枚いくらで、結構高いものもあって遠慮した。唯一、撮影フリーの場所は休憩室だが、私たちの坐ることができる椅子に掛けられた織物や机の装飾からも、十分に豪華さが覗える。ここで写真集をお土産に買う。この辺は日本のお寺と同じ商法に思えた。
2時間に及ぶ見学を無事に終えて、前の広場で記念撮影。

低山登り級の観光だった。これは冗談ではなく、日本人の観光客でポタラ宮を見学していて高山病になり、命を落とした人があったと後で聞いた。

私たち4人全員が元気なのにはヤンさんもライさんも驚いて褒めてくれたほどだった。

昼食(もちろんチベット風中華料理)をすませて西に12qほど離れた
デポン寺に向かう。
デボン寺はチベット最大の僧院で、一時は1万人のお坊さんがいたという一大宗教都市である。今でも800人ほどの僧侶が暮らしている。

このお寺で有名なのは、年に一度の夏祭りの巨大タンカご開帳で、急な坂道の通路を上っていくと、正面に見える岩壁の大仏右手に、そのための足場が組まれている。

通路両側にはいくつもの寺院や僧侶の住宅が点在している。文化大革命の時に破壊された寺院の跡も多い。穴蔵のような尼さんの家を見せて貰った。
ガンデン宮殿はポタラ宮ができるまで、歴代のダライラマが住んでいたところ。ここの高度はポタラ宮より遙かに高く(私の時計の高度計では富士山頂の標高に近かった)、急な階段を登るのは大変だった。

ローソクのヤク・バターの臭いで余計に息苦しく、足元はバターでベタベタで下手をすると滑り落ちそうだった。それでも宮殿や大集会室(見ただけで御利益のあるという弥勒仏がある)、ライさんお奨めの巨大鍋のある炊事場など、じっくり見学する。
 
外に出ると、太陽熱を利用した湯沸しを発見。雨が少なく強烈な日光が照りつけるチベットならではのローテク機器である。

夕方から
バルコル街のレストランへ。バルコル(八角)街はジョカン寺を取り巻くラサ随一の繁華街で、仏具や日用品、食料品など色んな店がびっしり並んでいる。外の露店で数珠、ドルジェなど買う。
夕食は民俗舞踊を見ながらバイキング。ディナー?ショーは笛と太鼓・シンバル、そして卓上弦楽器のトリオの演奏で、まず逆三角形の仮面をかぶった激しい動きの踊り。ついで民俗衣装の女性の踊り、主役らしい女性のアリア?のあと、黒いヤクが二頭登場して暴れ踊る。カタを掛けられていったん折伏?されたが、女性達が退場すると舞台から降りてきて、観客のテーブルを廻って噛みつく真似をしたりする。日本の獅子舞の類か?料理は昨夜より更にまずく、油(ヤクバター?)の臭いで食欲を失った。
22日(月)
5時起床。朝食を終えて外が明るくなると小雨が降っている。次第に晴れる という予報を頼りに、予定通り8時出発。

空港からラサに来た道を逆に南西に走り、ヤルン・ツァンポ川を渡る。更に支流沿いのいくつかの村を走り抜ける。支流の岸に水葬の行われる場所があった、やがて曲がりくねった登り道になり、山肌に残る疎らな雪が次第に多くなる。最近改修された立派な道を登りつめて、出発から2時間半、カンパ・ラ(峠)に着く頃から雲が切れて青空も覗き出した
カンパラ峠には現地の人のテント、着飾ったヤク、大きな黒いイヌ、子羊、湖を見下ろす道端に坐る二頭のヤク…これはいい被写体だと思った途端、ヤンさんから「写真を撮るとお金を取られますよ」との忠告。
 車を降りるとあっという間に、ヤクやイヌやヒツジを連れた10人ほどの大人、子供に取り囲まれた。何も連れていない老人は「俺を撮れ」と指さす。我も我も、押すな押すなの大騒ぎには閉口する。群れの中から何とか二頭のヤクを指名して、何人もの助けを借りて背中にまたがった。撮影料は一頭につき5元。(一元=15円)
 ヤクは獰猛な動物という印象が強かったが、ここでは温和しくて可愛い目をしていた。
カンパ・ラは、実際は標識の標高(4,999m)より低く、ガイドドブックによれば4,750mとも4794mとも記されている。

晴れていれば峠からマンダ・カンリ(64254m)やクーラ・カンリ(7554m)などの展望が楽しめる筈だが残念だ。

ツァーバスならこの峠が終点なのだが、騒々しさもあってか、ドライバーの王さんが峠を越えてヤムドク湖畔まで下ってくれた。
ヤムドク湖は「トルコ石の湖」の意味を持つチベット四聖湖の一つで、複雑に入り組んだ形をしている。晴れていれば更に美しい景色だっただろうが、エメラルド色に空の青さを映した湖面を眺めるだけでも、十分にここまで来た甲斐があったと満足した。

ゆっくり湖を見て引き返す。雲が多く、クーラ・カンリなどは見えなかった。峠では白人観光客のバスが、ヤクの群れに囲まれていた。
午後はラサ市北方にあるセラ寺を訪ねる。

セラ寺は河口慧海師、多田等観師などが修行したところで、日本にもゆかりの深いゲルク派の大僧院である。特に河口慧海師は、インド仏典の原典に近いチベット大蔵経を入手するため、1909年、鎖国中のチベットに潜入して多数の仏典、民俗資料などを持ち帰ったことで知られている。
 
バスを下りて参道を歩くと、美しいマニ石の前に赤い僧衣が置かれていた。

広い敷地の中にはセラ・メ、ンガバ、セラ・チェの三つのタツァン(学堂)とツォクツェンという大集会堂がある。セラツェ学堂では河口慧海師の学んだ部屋にある記念碑に、カタを捧げた。

セラツェの中はバターの臭いが充満していて、堂内から出て、戸外の空気に触れるとホッとした。
午後3時、中庭で有名な「問答」が始まった。

修行中の若い坊さんたちが2人一組で、教典を題材にして一人が問いを出し、一人が答える。
 立っている方が大声で問いかけ、数珠をかけた手を打ち鳴らす。かなり迫力がある昇進試験なのだが、中には私たち見物人を意識した坊さんや、何度も試験に落ちているのか、いい加減な態度の中年僧もいたりして面白かった。 一言で言えば、観光化していて、予想していたより迫力不足だった。
夕方、大昭寺を見学する。

チベット仏教の総本山とも言える
ジョカン寺(大昭寺はラサ市内の中心にあり、ここからラサの歴史が始まったとも言える重要な寺院である。周辺は連日、チベット各地からの熱心な巡礼者で賑わい、正面の石畳は五体投地の礼拝をする巡礼者で、ぴかぴかに磨かれている。
 
私たち観光客は右手の別の入口から入る。中庭はかってダライラマ臨席のもとに仏教哲学の試験が行われたところである。セラ寺の若いお坊さんたちも、ここで試験を受けるのだろうか?

本堂の左側にはマニ車がずらりと並ぶ回廊があり、試しに回しながら通ってみる。マニ車の数、実に305!。これだけの数の大きなマニ車を回すのはかなりの重労働で、回し終えると手は真っ黒でベトベト、腕が重くなった。
内院をぐるりと右回り(コルラ)する。数えきれぬほどのお堂と壁画に圧倒される。中でも印象に残ったのは、ジョカン寺縁起ともいうべき歴史絵巻の壁画。魔物(羅刹女)の棲んでいたオタン湖を埋め立て、それを鎮めるためにジョカン寺を建設し、完成を祝う祝宴までの様子が精密に描かれていて、とても興味深いものだった。
 本尊の釈迦牟尼仏は元来、外から拝むだけで扉が閉じられているが、この日はなんと私たちが参拝している間だけ開扉された。あまたの宝石で飾られた金ぴかの仏像の裏側へ廻って、足元にチベット式の礼拝をし敬虔な気持ちでカタを捧げた。
そのあと、心の美しい人には湖のせせらぎが、悪い人には羅刹女の心臓の音が聞こえるという大きな黒い石に耳を寄せてみたが…風のようなかすかな音が聞こえたように思う。

屋上にあがって休憩所で一休み。中国の有名な喜劇俳優がきていて、先程の特別ご開帳の理由がこれで分かった。実にタイミング良く、お相伴にあずかれたという訳だ。屋上からはポタラ宮が美しく望めた。
今日も別の土産物屋の3階でバイキングの夕食。ようやくビール一杯飲む許可があったが、まずいチベット料理には、もううんざりした。

食後、バルコル(八角)街を冷やかす。殆どの人がジョカン寺を右手にコルラして、同じ方向に歩いているので、流れに逆らって歩くのは少し勇気が要る。人混みの中で座り込んで
五体倒地の礼拝をしている人もいる。全身で祈りを捧げ、我が身を大地に打ちつけながら、少しずつ聖なるジョカン寺に近づいていくのを見ると、信仰の深さに感動する。 
23日(火)
朝、ラサから
成都へ向かう。 2001年7月、大姑娘山登頂トレッキングで訪れて以来の成都は、5年の年月を経て、より現代的で目を見張るような大都市に変貌を遂げていた。昼食は「四川小吃」。小鉢がこれでもかと並んだが、ソバ風の麺が一番美味かった。午後、武侯祠と杜甫草堂の見学。市内観光はすでに5年前にすませているが、再訪すると新しい発見もあった。

武候祠
はライトアップ効果が良くなって見やすくなり、少人数なので雷鳴君の説明も良く聞き取れた。杜甫草堂には新しく博物館ができていて、その裏の「珍宝殿」で飾り棚に入った九種の珍宝の説明が長々とある。何か変だと思っていたら、「5月いっぱい期間限定で」一式120万円で販売しているので、四川省教育援助のため協力してくれという。翌日、飛行機で隣に坐った人からこれを買った人がいると聞いて、「お宝好き」もいるものだと驚いた。「陳麻婆豆腐店」で四川料理の夕食。久しぶりに紹興酒も飲む。

24日(水) 成都
空港でラサ寺問答僧の人形を30元で買う。雷鳴が値切ってくれたが、別の店では85元の値札が付いていた。北京で長いフライト待ち。更に一時間以上遅れて関空着は21時を過ぎる。帰宅は日付が変わる寸前になった。
 
かっての禁断の国チベットは、今、中国の他の地方同様、凄まじい勢いで経済的に発展つつある。この年(2006)7月にはラサに西蔵鉄道が通じ、大勢の中国人が観光に押しかけている。独特の文化的伝統や民族的遺産が次第に大中華帝国化していくのも、時間の問題かも知れない。今のうちに…というラサ周辺の短い旅だったが、ビザの取得、ヤムドク湖へのオプションなど思ったより出費がかさんだ。しかし、チベット文化の一端に触れることができて、有意義な旅だった。何より、4人という少人数で、のびのびと気楽に過ごせた楽しい6日間だった。


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