黄山と西湖の旅  




2007年5月27日 
「山水画の世界、天下の絶景を歩く」というキャッチフレーズの、5日間のツァーに参加して4度目の中国へ旅立つ。関空でANAのPCがダウン、一時窓口が混雑したが無事予定通りに出発できた。
 約3時間のフライトで杭州空港に着き、ここで現地女性ガイドや他のツァーメンバーと初顔合わせ。八幡市のH夫妻、神戸の男性・Mさん、門真市の女性・Yさん、それに幸ちゃんと私たち夫婦のわずか7人のこぢんまりしたパーティである。ガイドの張麗嬢は24歳の笑顔が可愛い人で、近く横浜にいる日本人の恋人と結婚する予定だそうだ。
杭州は浙江省の省都で、2000年の歴史を誇る中国六大古都の一つ。13世紀末にこの町を訪れたマルコ・ポーロが「世界でもっとも美しくて華やかな都市」と賞賛したいう、美しい町である。

まず市内にある国宝「六和塔」を見る。北宋時代に銭塘江の高波を鎮めるために河畔に建てられた塔で、高さは60メートルある。何度か補修されているが、現存するもっとも古い塔という。木と煉瓦を材料にした八角七層だが、外からは十三層に見える。
50人乗りの大型バスにゆったり坐って、黄山の玄関口、屯渓の町へ。

旧市街は
「老街」と呼ばれて古い建物が約1kmにわたって続いている。明の時代から続く商人の町だけに、防火のための「馬頭壁」がずらりと並ぶ様は壮観である。お茶を売る店、玉などの彫刻店、硯や筆の専門店、漢方薬店などの店の他に、露店の軽食屋さんも出ていた。30分程町を歩いてホテルに入る。夕食は屯渓料理。

夢も見ずにぐっすり寝った。

5月28日
朝から気温が高く、蒸し暑い。張嬢から昨日の杭州は31℃あったと聞く。

バスで1時間程走り、黄山山麓の
世界遺産の町、宏村へ。

ここは「徽商」(安徽省出身の商人)といわれる豪商を多数生んだ土地で、明代の古い建物がほぼ完全な姿で残っている。世界遺産に登録されてって門を潜り、しばらく石畳の道を歩いて、橋を渡り村に入る。
宏村は牛の形をしているといわれ、牛の足にあたるのが川にかかる4本の橋である。

村の中央には
月塘と呼ぶ池があり、牛の胃袋になぞらえられている。村民の洗濯などの生活や防火用水として利用される他、気温調節の役割をも果たす古人の智慧の産物である。池の周囲には洗濯する村人や、美術学校の生徒たちが、写生をする姿が見られた。
村の中、民家の前を縦横に巡る水路は牛の腸にあたる。
流れに沿って細い道を歩き、豪商の屋敷跡を訪れる。門や屋内に施された精緻な彫刻に目を奪われた。

外に出ると、竹や石に篆刻してお土産を作る店などが狭い露地の両脇に並んでいる。揚げパンを売る店では、ハエ除けの赤い線香が回転しながら煙を上げていた。庶民の暮らしが垣間見られて興味深かった。
約1時間半の見学を終えて村を出る。

村の出入口には
「楓楊」と名札のついた木が二本植えられていた。これは牛の角にあたる。

なお、牛の頭は村の背後に聳える山・雷崗、牛の身体は村内数百軒の民家である。
去年出来たばかりの高速道路で、田植え中の田圃、茶畑、タイサンボクの並木などを走り抜け、80q離れた黄山へ向かう。

途中の町で郷土料理の昼食。
B・ロウイという名の鯉に似た川魚が出た。

山麓には大きなホテルが建ち並び、まだまだ続々と建設中である。中国ではこれまでにも何度か見た光景だが、果たしてこれだけの需要があるのかと要らぬ心配をする。
 黄山に近づくにつれ高度が上がり、次第に涼しくなってくる。
黄山の入口・黄山大門を潜ると、バスはくねくねと山道を走る。

山の南、南西、北側から3本のロープウェイがかかっているが、私たちは南西の雲谷寺駅から乗車した。
パーティのうち私一人だけが70歳以上で、別の改札でノートにサインさせられた。

50数人乗りのロープウェイは、動き出すとすぐ激しい雨に叩かれたが、幸い頂上駅に着く頃に雨は止んだ。
黄山は奇松、怪石、雲海、温泉という「四絶」で知られた名勝で、古来「五岳より帰り来たれば山を見ず、黄山より帰り来たれば五岳も見ず」と言われた。

中国では「天下第一の奇山」とされ、1990年に世界遺産に登録された。
 
最初の奇松は
黒虎松である。
ついで龍爪松、竪琴松などを見て、始信峰(1683m)に着く。

山頂部は危険なため通行が禁止されていて、途中の岩の割れ目まで登って絶景を見る。細長い塔のような形の岩山や、岩がいくつも積み重なったような山が立ち並んでいる。岩壁の所々に青い松が生えていて、岩にアクセントを添えている。このような断崖絶壁は古生代に生まれ、長い年月の間に浸食されて今のような見事な景観が生まれたという。
 三主峰といわれる蓮花峰、光明頂、天都峰を始め、海抜1,000m以上の峰が全部で72あるそうだ。
始信峰から下りとなり、夢籠生花峰、一雨傘松などを見て、最後は急な石段を下る。

団結松を通りホテルへ。ロープ駅から1.2q、約45分のハイキングで、いったん今夜の宿・
西海飯店に入る。

背後に夕陽の名所排雲峰を背負い、標高1590m地点の山中の平地にいくつもの棟を配した、四つ星の立派なホテルである。
30分の休憩後、黄山第二の高峰「光明頂」(1840m)へ向かう。急な石段が延々と続き、登るにつれ右手稜線上の飛来石が刻々と姿を変える。
 50分程で到着した標高1840mの光明頂には山小屋があり、右手の小高い最高点にかけて人で埋まっている。掻き分けるように頂を往復すると、小屋前の電光掲示板!が天気予報を伝えていた。「…美注景区天気:今天白天到明天早晨:多云(雲?):偏東風2−3級:気温14〜21:明天日出時間5:08」…
略字体が混じるが何とか読める。しかし「今天白天」どころか、先程から聞こえていた雷鳴が近づき、墨のように真っ黒になった空から大粒の雨が落ちてきた。
慌てて雨具を着て、さきほど見えていた稜線を下る。道は岩の下を捲くようにつけられているので、雨に煙る景色を見ながら楽に下れる。

西海門で二つの大岩の間から雨に煙る峰々を展望したりしながら、光明頂から1q下って
飛来石に来る。
天から飛んできて絶壁に突き立ったといわれる奇石で、触れると幸せになるという伝説がある。岩の周囲は各国の観光客で満員だったが、小雨の中、狭い通路を抜けて石に触れてみた。
(手を挙げているのが変愚院.張さん撮影)
東海門に来る頃に雨は上がり、いくつもの峰々が雲海に浮かぶ、まさに山水画の世界が出現した。 こんな機会は滅多にないそうだ。
 門からはなだらかな道を1.8q、夕陽で名高い排雲亭に行く。人ばかりが多く、雲が厚くて肝心の夕陽は望むべくもなかった。
 下り道になり、世界遺産登録記念碑がある断崖上から今日最後の絶景を見る。転落防止用の鉄鎖には、びっしりと錠前がかけられていて、どこの国でも同じようなことをするものだと思った。裏手山側からホテルに入る。
 石段は多かったが、よく整備された遊歩道の感じで歩けた7q、約3時間のハイキングだった。

5月29日。
薄雲は残っているものの、良い天気の朝を迎える。
4時半出発、ライトを手にホテルから見える
獅子峰へ登る。

山頂付近の小台地は、どこも日の出を見る人で混み合っている。カメラを構える場所を探していたら、台湾から来たらしい中年女性が少し身体を横に寄せて譲ってくれた。

辺りがすっかり明るくなっても、なかなか太陽は顔を出さず、諦めて下山する人も出てくる。
突然、満員の山頂で歓声が上がった。淡い紅色の下地に墨で濃淡の奇峰を描いて薄い絹のベールを被せたようなキャンバスに、一点のほのかな赤い色が灯り、それが静かに上に動いていく。

溜息の出るほど美しい光景に夢中でシャッターを切る。時計を見ると、5時を10分過ぎていた。

ホテルへ帰る途中、
シャクナゲの梢越しに獅子峰が見えた。朝食後、ロープウェイ乗り場へ。予約してあったお陰でしばらく待っただけでロープウェイに乗れ、名残を惜しみながら、9時、黄山を後にする。
屯渓で昼食後、再び290qの道を杭州へ引き返し、雷峰塔を見に行く。
 977年に呉越国王が子どもが生まれたことを祝って建てたものだが、20世紀になって倒れ、2000年に再建された。もとの塔の復元でなく、最新の科学技術を凝らした全く新しい21世紀の塔と見受けた。
 塔内部は荘厳というよりも豪華絢爛。金箔貼りの天井に見事な彫刻の数々が散りばめられている。「白蛇伝」のヒロインが幽閉された塔だけに、その物語の木彫がガラスケースに納められて、ぐるりと壁面を取り巻いていた。最上階の回廊から西湖の全景を見下す。その向こうに杭州の市街地が霞んで見えた。
 夕食後、少し街を歩いて超市(スーパーマーケット)を探し、胡麻菓子など買う。
5月30日。
杭州市内にある
西湖へ行く。

もと干潟だった西湖は、平均水深1.8m、最も深いところでも2.8mという浅い湖である。南北3.3km、東西2.8km、外周は15kmの大きさがある。

白蛇伝の白素貞が入水したといわれる白堤、蘇軾(蘇東坡)の造営によるという蘇堤などがあり、私たちは蘇堤の南側から堤の上を白堤のかかる島まで、西湖十景と呼ばれる名所の一部を見ながら約3q、1時間ほど歩いた。
スタート地点は大勢の人で混み合っていたが、殆どの人は遊覧船で観光するので、歩いている人は疎らで静かな雰囲気だった。

ゴール近く、対岸に緑の小山のように横たわる蘇堤が見えた。その近くで純白のウエディングドレスとタキシード姿の新郎新婦が、派手なポーズで記念写真を撮っていた。
午後、上海への途中で烏鎮を観光。

浙江省の北部に位置する古い町で、町の中を細い水路が網の目のように縦横に走り、水路に沿って清代のままの民家が並んでいる。

民家の並ぶ通りを歩いて藍染の店などを見た後、小舟に乗る。川岸ギリギリまで張り出した家々の佇まいを見たり、水面に映ると円形に見えるアーチ橋を潜ったりして、水郷の雰囲気を味わった。上海に続く川の水は、土砂を含んで黄色く濁っていた。
高速道路は上海に近づくにつれて次第に車の数が増え、ときどき渋滞する。ホテルは上海のビジネス街から一本外れた通りにある。近くの超市へ行く通りには屋台が出て、ゴミが散乱し、風船売りが通り、昔の上海が恐らくこうだっただろうと想像させる、雑駁な雰囲気だった。
5月31日。
まず
バンド(外灘)に行く。上海はアヘン戦争でイギリスに敗れた中国が、南京条約によって開港した港の一つである。いわゆるバンド−租界は外国人が自由に商売が出来る区域で、長江を遡り上海の入り口にあたる黄浦江の沿岸一帯に作られた。
 いまは遊歩道が整備され、20世紀初めの欧米建築が残る風景を見ることができる。
浦江の対岸は東浦地区で、新しい上海の象徴ともいえるテレビ塔(東方明珠塔・高さ468m)始め、高層ビル群が建ち並んでいる。4年前に来たときは雨の夜だったが、今回の上海も靄か黄砂のようで霞んでいた。
次に外灘と並ぶ上海観光の拠点・豫園に行く。4年前には時間がなく、湖心亭を見ただけだったが、今回はゆっくりと見て回ることができた。

豫園の「豫」は「楽しい」という意味があり、この「楽しい園」はもとは明の時代に四川省の役人・潘允端が18年かけて造った庭園である。

それほど広くない敷地内に、さまざまな工夫が凝らされている。
精緻な彫刻を施された門を入ると、正面の建物が鮮やかな色彩の三穂堂で、前の石碑の字は江沢民の筆である。
庭に続く塀は上に龍がうねっているので龍壁という。龍は皇帝の象徴であるため、咎められると「龍ではない」と弁明するために、本来5本ある筈の爪を3本にしてある。

玉華堂と呼ばれる建物(もとは役人の書斎だったとか)の正面に、玉玲瓏という高さ3メートルほどの太湖石を中心にした石庭がある。

太湖石は軽石状に穴がたくさん開いていて、玉玲瓏は一番上の穴から水を入れると、全ての穴から水が噴き出すという。
蓮を浮かべた池は緑波池、橋は九曲橋という。

なんでも人間は通れても悪霊は通れないように、こんな橋をかけてあるとか…。

それよりも橋を曲がるたびに景色が変わって見えるのが面白い。右には湖心亭が見えた。
豫園の周辺は旧上海城域。
豫園商場と呼ばれて、商店やレストランがずらりと並んでいる。

美味しそうな匂いが流れる南翔饅頭店の前には、今日も長い人の列が出来ていた。饅頭といっても点心の小龍包(小型の豚まん)で、テイクアウトして庶民の味が楽しめる。「臭豆腐干」はいわば沖縄のトウフヨウ。羊肉の唐揚げ?も売っている。

のんびり冷やかしたあと緑波楼で有名な飲茶料理の昼食をとるが、やや期待はずれだった。
人でごった返す商場を抜けて南側にでると、古い上海の雰囲気が残る老街(ラオジェ)が見える

ここを少し歩いてみたいものだと思ったが、時間に追われるようにバスに乗る。

リニア駅への途中、新世界横の大通りで降りて少し見物。煉瓦塀と石畳の街を、ミュージシャンの葉加瀬太郎が歩いていた。
浦東国際空港へはリニアモーターカーで約30キロを7分あまりで走り抜ける。もちろん地上の乗物では世界最速である。
 車内の電光掲示板にスピードが表示され、最高速度は431km/hに達したが、それほどの揺れもなく乗り心地もまずまずだった。

18:20発のANA機で上海を発ち、22時半に家に帰った。わずか4時間、本当に遠いようで近い国ということを改めて実感した。訪れるごとに変貌していく中国は、次にはどんな顔で私たちを迎えてくれるのだろうか?

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