挨  及  紀  行

  




2006年10月23日(月) 曇り。 待望のエジプトへ旅発つ。15時前のフライトでカイロへ。長い長い空の旅で困ったことには、エジプト航空の機内食ではアルコール類が出ない。
 ツァーメンバー21人の一人、名古屋の若いSが持ち込んだ缶ビールで急性アルコール中毒になるハプニングがあった。アラーの神の祟りか、桑原くわばら。カイロから乗り継いだ機内で若いお嬢さんの隣になり、山の話などしている内にルクソールに着いた。ホテル到着は0時前、なかなか眠れず。
10月24日(火) 晴れ

ルクソールはナイル川中流にある、中王国・新王国時代にはテーベと呼ばれ首都として栄えた町である。4時過ぎからコーランの声が聞こえ、イスラムの国に来たことを実感する。浅い眠りから覚めると外はもう真夏の陽射し、しかし空気が乾燥しているので意外に爽やかだ。ちょうどラマダンが明けた翌日で、今日は賑やかになるだろうとのこと。ホテルの前はナイル川で観光船やヨットがたくさん並んでいる。
 
朝食後、世界遺産ルクソールの東岸観光。ガイドの名はモハメッド・アリ!まず、ホテルのすぐ近くにあるアメンホテプ3世のよって建造されたルクソール神殿へ。

神殿の第一塔門前にあるラムセス2世の一対の座像の横には、一対のオベリスクが建っていたが、右側の一本は今、パリのコンコルド広場に移されている。 塔門を入ると中庭、第二塔門、列柱廊、中庭、列柱室と続き、壁には、神々の伝説や王の事跡を刻んだ美しいレリーフが残されている。
 
実に広大な規模だが、この神殿は次のカルナツク神殿の付属施設だつたというので驚く。神殿の前にはずらりとスフィンクスが並び、かつては3キロ離れたカルナツク神殿までの参道にずっと続いていたという。
ついで高さ23mで134体の巨柱とラムセス2世の像が圧巻のカルナツク神殿を見学。

巨大な規模の神殿で塔門は第十!!まである。第二塔門前にはビヌジエムの巨像が立っている。 この神殿で特に目を引くのは、134本もずらりと並ぶ巨大な柱。高さは23mと15mの二種類があり、柱には象形文字やレリーフ、特に天井に美しい彩色のものが残っている。
神殿の奥の広場には台座の上に乗った特大のスカラベ(フンコロガシ)があつた。この周囲を5度回ると幸せが来るとか…。

もちろん回ってみたが、果たして異教徒にも効き目があるだろうか?

昼食は魚料理 (トマトソースで煮込んで土鍋に入っている)。ビールは飲めるが高い(sakara小瓶で30£E)。
午後はオプションでルクソール西岸観光(12000円)。西岸はテーべの人達にとつての「ネクロポリス(死者の都)」、つまり墓地であつたところである。

その代表的な 「王家の谷」 は新王国時代に岩を掘って作られた墓が、現在90基近く発見されている。
ツタンカーメンの墓は入口でカメラを預け、階段と斜めになった通路を下ると、突き当たりに前室とその奥の副室がある。前室から右に直角に曲がると玄室で、ここに王の遺体を納めた石棺が置いてあつた。さらにその右奥が秘密の宝物室という構造になつている。
 現在、見学可能な墓は30箇所あり、1枚のチケットで他に三箇所選択できる。このあとラムセス3世、9世とメレンペタハの墓に入る。どの墓も通路から各部屋に至るまで一面に美しい壁画が描かれているがカメラ持ち込みは禁止されている。
 どの墓も高松塚など日本の古墳とは比べることができない規模の大きさで、また数千年の歳月を経たと思えぬ色彩で残っている。滅多に雨の降らない乾燥した気候が幸いしたものだろう。そういえば陽射しは厳しく気温は30度を超えていたが、日陰は涼しくて、暑さに弱いわたしたち夫婦も、旅行中殆ど汗をかかなかつた。
ハトシエプスト女王葬祭殿はエジプト初の女王を祭っている。夫トトメス2世亡き後、幼いトトメス3世の摂政をつとめ、のち自らフアラオになつた女性である。岩山を背に、三つのテラスからなる壮大な祭殿が立っている。

ここは1997年11月にゲリラによる襲撃があり、日本人を含む観光客100名以上が犠牲になったところでもある。長い階段を登り内部を見学した。
 
帰り道で 「メムノンの巨像」 を見る。これはアメンホテプ3世の像で、この後ろにあつた彼の葬祭殿は後の王様たちに石材として使われたため、完全に失われた。後に地震のためヒビが入り、そこに風が吹き込んで「像が歌う」ことで有名になったが、今は補修されて歌わなくなった。
ホテルに帰って広い庭を散歩する。夜はナイルの岸辺でバイキング、殆ど食べるものがなかった。水を買いに外に出るとライトアップされたルクソール神殿が美しい。パピルス製カレンダー(25£)を買って帰る。部屋のエアコンが全く効かず、部屋を変えて貰うと今度は寒い程に冷えた。
10月25日 (水) 晴れ
8時、専用バスでナイル川に沿つて南下、アスワンヘ。

115`走ったエドフで「隼の神」を祀る
ホルス神殿を見学。紀元前237年に建築が始まった神殿は、ほぼ完全な形で残り、外壁レリーフが美しい。神殿入口を始めあちこちにハヤプサの姿をしたものや、頭部だけがトリで首から下は人体の立像などのホルス神像が立っている。ホルスは天空の神を司るエジプト最古の神々の一つ。エジプト航空のロゴマークはこの神をデザインしたものである。
次に更に70km走ってコム・オンボ(金gold の町の意)へ。

ナイルの神である「ワニの神」を祀る
コム・オンボ神殿はプトレマイオス朝時代に建造された珍しい二重構造の神殿である。昔、ギリシャで見たアクロポリスの神殿を思い出させた。ワニの神、ソベクはナイル川の神であり、力の象徴だつたのだろう。最奥部にはご神体?のワニのミイラが安置されていた。
 
ルクソールから南へ200km離れたアスワンは、かっての古い都。今はナイル川クルージングの豪華客船が行き交う観光の拠点である。

2時頃、アスワンへ着いて、ヌビア人の老人の操るモーター付きの船でレストランのある島に渡り、遅い昼食をとる。フルーカという小さい帆のヨットや、モーターをつけた船が行き交うナイルの景色は実に美しい。
パピルスの店で土産に二枚買って、アスワンではスーペリアクラスといわれるソフイテル・ニューカタラクト・ホテルに入る。OLDの方はA・クリステイが 「ナイルに死す」 を執筆した豪華ホテルだが、NEW の方はそれほどでもない。 
10月26日 (木) 晴れ
10時半を過ぎてから出発。ゲリラ対策のため同じ方向に行くバスはツーリズム・ポリスの護衛付きでコンペイ(隊列)を組んで走る。
 アスワンダムを過ぎると、270km離れたアブ・シンベルまでずつと砂漠の中の一直線の道。単調な景色だが、一面の砂原の中に円錐形や富士山形など様々な形の砂山が点在していたりする。トイレをする場所もなく、3時間ぶっ通しで走り続ける。
 1時間程走ると、行く手に大きな湖と、いくつかの島が見える。
砂漠の蜃気楼である。13時半、アブ・シンベルに着き、ホテルに荷物を降ろし昼食。
午後は世界遺産・アブ・シンベル神殿の観光に行く。この神殿はアスワンハイダムを建設するとき水没する運命だつたものを、ユネスコが世界に救済を呼びかけて移転したもの。1964年から4年開かて、いくつものブロックに切り分けて元の位置から60m上に運びあげた。

もともとは約3300年前にラムセス2世が建設した大小二つの岩窟神殿で、
大神殿の前には王自身の4体の巨像が鎮座している。像の高さは20mもある巨大なもので、何十年もかかつて作られたので、左から右に王の顔が加齢とともに変化しているのが分かる。
それにしてもこの男の自己顕示欲の強さには驚かされる。隣の小神殿にはラムセス2世像4体と王妃ネフェルトリア像2体、足元には彼らの子供達の像が置いてある。

大神殿には入場禁止だが、こちらには入れる。ただしカメラ持ち込みは禁止。
 ところが出てくると扉の前にいるオツサンが 「このカギ持って写真撮ってみなはれ」と勧める。内部の様子も写る。もちろん、お得意のバクシーシ(喜捨)が狙いである。
夕方から再びアブ・シンベル大神殿「音と光のショー」 を見に行く。

神殿の岩に映し出される歴史絵巻は幻想的、神秘的で、しかも美しく迫力があつた。空には細い三日月と降るような星が輝き、とてもロマンティックな夜だつた。
10月27日 (金) 晴れ
とにかく雨は降らない。9時半発で再びアスワンヘ。途中でラクダを満載したトラックに追い抜かれた。ダム湖を見下ろす小椅麗なレストランでシシケパブの昼食。これまで毎日、昼も夜もビールを飲んでいるが、缶でも小瓶でも同じょうな値段で19〜25£E。結構高くつく。午後は岩の亀裂が原因で切り出しが中止となった長さ41.75mの
切りかけのオベリスクに行く。

1970年に完成した高さ11m、全長3600mの巨大なアスワンハイダムはナイル川を堰き止めナセル湖とした、近代技術による大治水事業だ。
アスワン駅から寝台列車ナイルエキスプレス(1等寝台)でカイロヘ。3ドルの缶ビール (ルクソールという銘柄)1本でよく眠れた。
10月28日 (土)
目を覚ますとナツメヤシの林から日が昇って来る頃だった。カイロの南、約50kmのギザで列車を降り、世界遺産ギザの3大ビラミッドの見学。まず、現在から4500年前の古王国時代に造られた
クフ王のビラミッドに行く。三つのうち、最も大きなビラミッドで、世界七不思議に数えられたもの。 頂上部が失われて現在の高さは137mだが、もとは146mあった。頂上には元の高さを示す鉄棒が立っている。
次にカフラー王のビラミッドへ移動。高さ143m。元は全体を覆っていた化粧岩が上の方と下部に残っていて、エジプト一美しいビラミッドといわれている。しかし、化粧岩の取れた部分は雑な積み方をしていることが分かる。長い列に並んで中へ入ってみる。狭く低い急な坂道を身体をかがめて下るが、電灯がきれて真っ暗な箇所もあり、息苦しい程だった。最後に広い玄室にでると石棺があり、白人の観光客がふざけてミイラの真似をして仲間を脅かしていた。

「メンカウラー王のビラミッド」は三つのビラミッドで一番小さいものだが、65・5mの高さがある。
その向こうは、もうリビア砂漠である。反対側にはカイロの町が霞んで見えた。

三つのビラミッドが見晴らせる展望丘に登り、ラクダに乗って写真を撮る (一人2ドル、少し歩くと5ドル)。

和子は 「ちっとも怖くないよ」 というが、立ち上がるときと下りるときは急勾配なのでヤクやゾウに乗る時よりは緊張した。
 意地の悪いラクダは振り向いて臭い唾を吹き掛けるそうだが、幸い温和しい奴で良かつた。
スフィンクスはカフラー王の参道にあり、顔はカフラー王、身体はライオンに似せたと言われている。

石灰岩製で全長57m、高さ20m。思ったより大きいものだが、鼻は削られヒゲはイギリスに取られて気の毒だ。ビラミッドのすぐ側かと思ったら少し離れたところにある。

近くまでケンタツキーなどの店や人家が押し寄せているが日本の観光地程ではない。 金銀製品の店に行った後、昼食。
午後はメンフイスとサッカラ・ダハシュール観光 (オプションお一人様7000円)。

ダハシュールの「赤のビラミッド」は砂漠の真ん中で風が強く、いかにもビラミッドという感じ。

断面が二等辺三角形をしている真正ビラミッドとしては最古とされ、後に作られたビラミッドより傾斜はなだらかである。
 少し登ったところから内部に入ると、やはり急勾配の狭い道が玄室に続いているが、朝のカフラー王のビラミッドで経験済みなので、楽に下れた。
 
屈折ビラミッドは高さ105mの、ちょうど真ん中あたりで傾斜角度が変わっているのでこの名で呼ばれる。理由はいろんな説があるようだ。
サッカーラのビラミッドは、周囲の建築物もよく残っているので、「ビラミッドコンプレックス」と呼ばれている。

中心になる
ジオセル王のビラミッドは、日干し煉瓦を階段状に積み上げたもので、後のビラミッドの原型となつたものである。六重になつていて高さは約60mあり、階段ビラミッドとよばれている。

コンプレックスの裏側に廻り、石の穴に目をあてて覗いてみるとジョセル王の頭像が見えた。(もう一方は考古博物館にある)。
メンフイスはエジプト古王国時代に首都として栄えたところだが、今は小さな集落が点在するだけ。その一つミト・ラヒーナの遺跡が保存されている。
 建物の中にある
ラメセス2世像は足の部分は失われているが、それでも全長は15mあり、二階から全体を見下ろすようになっている。前の広場にはアラバスター製のスフィンクスがあり、ギザのものと違って端正な顔を残していた。
 今夜のホテルはヒルトンで凄くデラックスだが、野原の真ん中でしかも時間も遅く、ゆつくりできなくて残念だった。
10月29日 (日)
エジプト旅行も最終日になった。
 午前中はカイロ博物館に行く。新市街に入るとナイル川に観光船が浮かび、高層ビルの上にカイロタワーが奪えている。大阪でいえば中之島界隈の趣で、朝っぱらから仲の良い若い恋人達の姿も見られた。
 「エジプト考古学博物館」はそんな中心街にある。一歩足を踏み入れると、そこは古代エジプトの世界。エジプト各地から出土した貴重なコレクションはその数、なんと12万点! 午前中、たっぷり時間をかけて見学できたが、それでも100もある部屋のごく一部を早足で見ただけ…。じつくり見れば何ケ月もかかるという。
たくさんの展示品の中では、何十年前か日本で展示されたときにちらりと見た「ツタンカーメンの黄金のマスク」をじつくり見ることが出来たのが印象的だった。
 黄金の玉座や立像なども素晴らしいものだつた。また古代エジプトの日用品や埴輪のような副葬物は当時の生活をしのばせる興味深い。残念ながら、館内撮影禁止で写真は取れない。
 昼食後、
オールドカイロ、つまり旧市街へ。
 カイロ発祥の土地で、原始キリスト教の流れを汲むコプト派の教会がある。その一つ、聖ジョージ修道院と地下道を潜ってずっと奥にある教会を見学した。
空港へ向かう途中で、美しいモスクが見えた。 ガーマ (モスク)・ムハンムド・アリである。エジプト独立の功労者ムハンムド・アリがイスタンプールのガーマを真似て1857年に作ったもの。次に機会があれば、ゆつくり見たいところだ。
 空港で最後の買い物をして、バスで滑走路で待つエジプト航空機に向かうとき、ちょうど美しい夕陽が私たちの乗る機の向こうに沈みかけていた。

二人の長い間の夢だつたエジプト旅行は終わったが、期待に違わぬ、いや期待以上に充実した忘れられない10日間だった。

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