バンコクとアユタヤの旅 (2)

8月27日(木)
今日も朝からギンギンの夏空です。朝食を済ませ7時出発。ホテルはバンコク市内では東側のマッカサン駅近くにあるので、市内を流れるチャオプラヤー川両岸に位置するワット群を訪ねるため西へ向かいます。
 朝のバンコク市内は出勤の車でひどい交通渋滞。緑の木立はチットラダー宮殿です。現在の王様・ラマ9世の私邸で、肖像画は皇太子を抱いた若き日の王妃さま。ガイドの話では美人で有名だったということです。
国会議事堂や民主記念塔を車窓から眺めながら…
チャオプラヤー川の右岸に来ました。王宮やたくさんの立派な寺院が建っています。
 王宮とワット・ポーの間の道でバスを下りて、狭い市場のようなところを抜けてター・ティアンの船着き場へ歩きます。
 対岸のトンブリー側(川の西側)にワット・アルンが美しく眺められます。
 細長いボートはルーア・ハン・ヤオ(Long Tail Boat)、高速の水上乗り合いバスです。
私たちは、ルーア・カーム・ファークと呼ばれる渡し船に乗り込みました。
 船縁両側にベンチがありますが、数が少なく立つ人もいます。私たちは幸い座れましたが、立ったままでも対岸まで5分ほどです。

川面に浮かぶホテイアオイに似た水草や、往き来する舟を見ていると、あっという間に対岸の船着き場に到着しました。

船を下りて短い石段を登ると、すぐにワット・アルンの入り口です。
Wat Aru、ワット・アルン
三島由紀夫の「暁の寺」(豊饒の海・第3巻)の主題として知られた寺院で、タイの10バーツ硬貨の裏面デザインとして使われています。

アユタヤ王朝崩壊のあと、しばらく領主の乱立時代が続きました。次にタイを統一したのはアユタヤ官吏出身のタクシンです。アユタヤを奪還したタクシンは都を今のトンブリーに置き王となりました。当時はオリーブの茂る原野に近かったそうです(ガイドの話)。しかし武勇を誇った王が死ぬと、僅か15年でこの王朝は滅亡します。

ワット・アルンはタクシン王が第一王寺(守護寺)として創建したものですが、今の形に整備されたのは、次のチャクリー王朝ラマ3世の時代です。
その後、本堂は一度消失しましたがラマ5世によって再建されました。

中央の仏塔の高さは79m、周囲を四つの小塔とモントップ(四角い建物の上に尖塔が立っている仏堂)が取り巻いています。
 中央の仏塔基壇を次の段まで登ると、急勾配の階段を登る人が見えます。
 モントップの横まで登って近くで見ると、塔は色とりどりの小さな陶器の破片が埋め込まれた図柄で覆われ基壇にはヒンドゥ神話の鬼やハヌマン、ガルーダの彫刻が並んでいます。
ここから主塔への階段はかなり急勾配です。
敬遠してここから見上げて拝むだけにしました。

頂上近くに祀られているインドラ神は、三つの頭をもつエラワン象に乗っておられます。

下から手を合わせてお別れし、また船で東岸のター・ティアンへ帰りました。
チャオプラヤー川の東側が、タクシン王朝後に興った現チャクラー王朝の都、バンコクです。
 母なる川と呼ばれるチャオプラヤー川の東岸と運河に囲まれた、防御に適した地に王宮が置かれ、多くの寺院がこの周辺に集まっています。
 先ほど車を降りたタイ・ワン通りにあるワット・ポーへ。
Wat Pho
1877年、ラマ1世創建のバンコクで一番古い歴史を持つ寺院です。本堂に入ると、「リクライニング・ブッダ」の名で親しまれている、黄金に輝く大仏像が安置されています。
悟りを開き涅槃の境地に入ったお釈迦様の寝姿は高さ15m、全長46m。足元近くからでも、全容が撮れません。

コーナーを曲がると、お釈迦さんの足の裏です。
108の格子の中に須弥山や神々、動物などが真珠母貝の螺鈿細工で精巧に描かれ、バラモン教の宇宙観が表現されています。

ぐるっと背中の方を回って頭部の後ろに来ると、
黄金色に輝く螺髪と頭を支える台座が見えます。ここでも改めてその巨大さに驚きました。
 
このお寺は古いだけでなく、境内の広さもバンコク一です。大小の塔頭がいくつもあって、一つ一つ見て回るにはとても時間が足りません。
 またここはラマ3世のときに東洋医学の学問寺となり、それ以来タイ・マッサージの総本山とされています。写真は温泉での温浴療法を表す図です。
ほかにも身体のツボを表す図の壁画などがありました。

 境内至るところに、美しい彫刻や小仏塔、僧坊などが散在して、時間が許せば、もっとゆっくり見学したいところでした。
Wat Phra Kaeo ワット・プラ・ケオ
1782年、ラマ1世がバンコクに遷都したときに王朝の守護寺として、王宮に接して建立した王室専用の寺院で、タイで唯一、僧侶のいないお寺です。
 このお寺と王宮に入るには礼儀正しい服装が要求され、入り口でチェックが行われます。

ワット・プラ・ケオの本堂に入ります。靴を脱いで回廊に登り、裏側入り口に来ました。床は大理石で覆われ、真珠貝で覆われた美しい扉に登る階段の両側は、青銅の獅子が守っています。
本堂の基盤は様々な色の玉石や貝殻で美しく飾られ、ヘビをもったガルーダがずらりと並んでいます。
 反対側の正面入り口から本堂内部に入りました。ご本尊のエメラルド仏は高さ66センチ、実際は緑色の翡翠で作られています。

1443年、落雷で崩壊したチェンライの仏塔で発見されて以来、さまざまな遍歴の末にここに安置されました。本堂内部は仏陀の生涯などの壁画でも有名なのですが、風が通らず人いきれで暑いので、早々に外に出ました。
本堂の回廊からは、これまで他の寺院でも見てきた三つの様式の塔が一列に並んで見ることができます。
左の金色の塔はチェディ。インド起源でセイロン形式の仏塔です。

中央はモンドップ。純粋なタイ形式の階段ピラミッド状の仏堂で、長い尖塔が伸びているのが特徴です。
右はプラーン。アンコールワットなどに見られるクメール形式がもとの形で、先端が丸くトウモロコシに似た形です。

本堂向かい側にある上部テラスへ、階段を登って右手に回っていきます。
プラサート・プラテープ・ビドゥーン(ロイヤル・パンテオン)
十字型の建物にトウモロコシ型の塔をもつ王室専用のお堂で、ラマ1世からラマ8世までの彫像が安置されています。入り口の両側に金色の塔が立ち、ガルーダ像が取り巻いています。

プラ・モンドップと呼ばれる、ピラミッド型に層を重ねる経堂の中の厨子には三蔵経が納められ、仏塔(チェディ・)には仏舎利が安置されています。(この写真では背後に隠れ見えない)
プラモンドップの北側にあるアンコールワットの模型です。実物を見たラマ4世が他の人にも見せたいと作ったものだけに、見れば見るほど実物そっくりに、精巧にできています。

テラス下の、仏陀を祀るウィハーン・ヨートや王子や王女の遺灰をおさめた王室の霊廟であるホー・プラナークを見ながら境内をほぼ一巡りして、次に王宮に向かいます。
王宮の敷地は、エメラルド宮殿も含めると面積は218,000平方メートルに及び、四方は長さ1,900mの白壁に囲まれています。
 様々な建物がありますが、これはチャクリー・マハー・プラサート殿。ラーマ5世により建てられ、バンコク王朝100祭に完成したものです。1782年、西岸から遷都して以来、ラマ9世までの歴代のチャクリー王はここに住んでいました。現在はチットラダー宮殿に住まいを移し、ここは国家的な儀式の外交の場として使われいます。
 ビマンチャイシー門を出ると賑やかなバンコクの町で、日常空間に帰った気がします。
飲茶食べ放題の昼食の後、モノレールが通るなどバンコクの新しい顔と、庶民の市場プラトーナムなど古い顔が共存するラーチャダムリ通りへ。

巨大ショッピングモールのセントラル・ワールドで買い物をしたあと、バンコクで一番高いバイヨークスカイホテル84階にある回転展望台で展望を楽しみました。
 そのあと、展望を楽しみながらフルーツ・ビュッフェ。ドリアン始めマンゴーやランプータン、ジャックフルーツ、ドラゴンフルーツなど珍しい果物やジュース、アイスクリームなどが食べ放題でした。
免税店でショッピング・タイムのあと、タイ古典舞踊のディナーショー。

終わるころから、今日も激しいスコールに襲われました。

ホテルに帰る途中、雨が小止みになったのでナイト・バザールへ。

狭い通りにいろいろなお店がぎっしりと並んでいます。お土産にタイのお香を求めました。
2009年 08月 28日(土)
曇り。8時半朝食。一日、フリータイムですが、外は暑そうなので、昼までのんびりベッドに寝転がってTVを見ていました。13時、チェックアウトして、荷物を預けて下町の散歩にでます。
 中国系の人々の居住地の一角には中国式のお廟がありました。ペップリー通りには商店が並び、庶民の香りが一杯です。
 陸橋でペッブリー通を渡り、南へ歩いてセンセーブ運河を渡ります。あまり綺麗ではない運河ですが、水上バスも運行されています。右に船着場が見えます。
昨日も来たラーチャダムリ通りにでました。大阪の堺筋を思わせる北行きの一方通行です。大通りを陸橋で渡り少し南に歩くと、これも昨日来たセントラル・ワールド。タイで一番大きいショッピングモールです。

写真は陸橋の上から北を見たところ。
左手奥に昨日展望を楽しんだバイヨークスカイホテルが見えます。南の方には色鮮やかなBTS(モノレール)が走るブルンチット通りがあり、 この通りまでがセントラル・ワールドで「ZEN」と伊勢丹が入っています。
 7階は巨大スーパーマーケットで一角には回転寿司屋さんもありました。残りのお土産を買ったり、レストランが並んでいろんな国の料理が食べられるフロアの一店で夕食を済ませたり、ゆっくり時間をつぶして外に出ました。
前の広場で若者たちにフリー・マーケットが開かれていました。
 ここへ着いたときは大きな袋や段ボール箱を持った大勢の若者が座り込んでいて、何事かなと不審に思っていたのですが、謎が解けました。手作りの装身具や人形などを並べた店が何列も並んでいて、仕事帰りや学校帰りの人が詰め掛けて大変な賑わいです。
 広場の両端ではロック・バンドの舞台も始まりました。
しかし、そのすぐ北側にはビルの前の祠に額づく人の姿が見られます。黄昏の街角に香煙がたなびき、若い女性たちが熱心にお祈りしています。タイの人たちの信心深さは想像以上です
 この祠の中は、幸運と金運の神様「ガネーシャ」。その前の若い女性は、もう何分間もじっと姿勢を崩さず祈り続けています。どんな願い事をしているのでしょうか。
 帰りも歩いてホテルに戻り、しばらく休憩。
やがて約束の時間が来てグループ全員が揃って、バスで空港へ向かいました。
スワンナプーム空港で出国手続きを終えて、免税店が並ぶ長い長いホールを散歩。
 その中央にあるヒンドゥー教の神話をモチーフにしたこのモニュメントは、出国するときにしか見ることが出来ません。アンコールワットでも見た「乳海撹拌」です。
 出発ロビーで最後のシンハを飲んだりして長い夜を過ごし、日付の変わる寸前の23時55分、離陸。29日朝、無事関空に帰着しました。
 たった3日間ながら、タイの歴史や文化に触れて意義深い旅でした。次に機会があれば、北部のチェンマイや最初の王都・スコータイにも訪れてみたいと思います。

変愚院22海外の旅           ペンギン夫婦お山歩日記
inserted by FC2 system