濠太剌利亜 紀行 |
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1998年10月 息子の結婚が近づいたので、おそらく親子4人では最後になるだろう観光旅行に、オーストラリアへ出発する。 |
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10月13日(月) 06:30 ブリスデン着。晴れて暑い。ブリスペンはクィーンズランド州の州都である。 バスで紫のジャカランダや深紅のデイゴが咲く道を走り、街を一望に見下ろす標高227mのマウントクーサ展望台からブリスペン市街を展望する。 紺碧の空から降り注ぐ陽光が眩しい。 |
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オーストラリアン・ウールシェッドは、カンガルーやエミューもいる大きな観光牧場である。 牧羊犬による羊追い込みを見た後、羊の毛刈りショー観覧。ディジエリドゥというアポリジニの中空になった笛を鳴らすのが始まりで、名前を呼ばれた未が次々に走ってきて壇上に上がる。 |
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さっきの牧羊犬が並んだ羊たちの背中の上を走ってきて、一番高い壇上にいる羊の背中に登って得意顔である。 プロのシェーラー(毛刈り職人)の手にかかると、羊は身動きもせずじっとしている。 お馴染みの軽快なメロディーとともに、電動バリカンが動いて「たちまち羊は丸裸」になる。 |
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一列に並んでコアラを抱っこした。コアラは夜行性の有袋類で、水は飲まず、特定のユーカリの葉しか食べない。可愛いしぐさで温和しく抱っこされている様子は、まさに生きた縫いぐるみである。 | |
次にストロベリー・ファームを訪ねる。ここも観光農園で、ニンジンが大好きなMorganというラクダが出迎えた。 新鮮な赤いイチゴの入ったソフトクリームを食べたあと、ゴールドコーストへ向かう。 |
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途中のアンザックパークからは、内海を距ててゴールドコーストの街が一望された。 ホテルに荷物を置いて、街をぶらつきサーファーズ・パラダイスへ行く。大型ショッピングセンターがあり、他にも土産物屋が並んでいる。Tシャツなどを買った。どこもかしこも日本人ばかりで外国に来た気がしない。 |
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夜は、スプリングブルック国立公園にあるナチュラル・ブリッジの洞窟で土ボタルを見る。 暗い洞窟の天井に光る青い光りは神秘的にさえ思えたが、正体はヒカリキノコバエの幼虫で、いわばウジ虫だ。 そう知ると少し気味が悪い。 |
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10月14日(火) 曇りのち晴。 カランピン・サンクチュアリへ。27ヘクタールの広さを持つ、野鳥と動物たちの保護区域である。 レインボウ・ロリキートの餌付けを体験する。朝夕二回、蜂蜜を浸したパン屑の餌を求めて、鮮やかな虹色の小鳥が羽音を響かせて群がってくる。 コアラはここでも人気者だが、豊かな自然の中でのびのび暮らしている。 |
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ちょうどカンガルーの朝食タイムで、30頭近いカンガルーが両側にずらりと並んで餌箱に首を突っ込む珍しい光景が見られた。 ワラビーの哺育園、ディンゴ、ウォンバット、木登りカンガルー (下右)なども見た. 夜行性のタスマニアデビル(下左)は穴の中で横たわっていた。 |
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午後はテーマパークの一つシーワールドへいく。水上スキーは片足で滑走したり、回転ジャンプしたり、思わず息を飲む迫力に満ちたショーだった。 最高のみものはイルカ・ショーで、トレーニングされたイルカたちが人間顔負けの驚くべき演技を見せてくれた。 夜、カジノもあるコンラッド・ホテルでマジックショーなど楽しんだ。 |
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10月15日(水) 出発まで再びサーファーズ・パラダイスをぶらつき、ブーメランなどを土産に買う。 正午前のアンセット機でメルボルンへ2時間あまりの空の旅。薄着でその上、南下して寒くなった。 フイロツイ庭園で色とりどりの熱帯性の花が咲き競う大温室や、キャプテン・クックの家、白亜の旧貴族のコモハウスなどを見る。 |
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ジエイムス・クックは1771年4月、シドニー郊外ポトニアック湾に上陸、8月にオーストラリア東海岸一帯をイギリス領と宣言した。 三度の航海の間に故郷のヨークシャーで過ごした彼の生家が、1934年にヴィクトリア州百年祭にここに移築されている。 ダイニングルームには当時の台所用品や、蓋にJ.Cの文字が見える愛用のトランクなどが置かれていた。 |
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コモハウスは19世紀の貴族の大邸宅で、庭園や室内の調度品にも当時の大富豪の豪奢な生活が偲ばれるところである。 | |
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10月16日(木) 曇。 メルボルン市電の2時間乗り放題切符を活用して、午前中、市内を精力的に歩き回った。 こんな時頼りにするのは、やはり海外経験の長い息子と娘で、私たち夫婦は懸命に後について行った。 まずクィーンビクトリア・マーケットに行く。 開業から111年、食料品から雑貨まで500軒を越す店がずらりと並んでいる。 |
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セントポール寺院は19世紀ゴシック再興期の荘厳な建築である。 フリンダース・ストリート駅は、正面アーチ形の入口の上に、次の発車時間を告げる時計がずらりと並んでいるのが珍しい。 中央郵便局で切手など買って帰る。 |
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午後、フイリップ島へペンギンパレードを見に行く。途中、ベルグレープの町はずれでクリムソン・ロゼラの餌付けする。 野生のきれいなオウムの一種だが、まったく人怖じしないでヒマワリの種を差し出すと群がってきた。 |
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ここから30分ほどSLバッフイング・ドリー号に乗る。オーストラリア最古の蒸気機関車である。20世紀にエメラルドで採れた金を運ぶ目的で敷設された軌道の上を、今は観光客を乗せて走っている。運転士さんはボランティアだそうだが、なかなか親切な人だった。列車はベルグレープを出ると、木の橋を渡り、ワスレナグサの咲く美しい草原や、お化けのような木生シダの林の中を走る。途中でフリオ出した雨は、下車駅のメンジーズ・クリークに着く頃、本降りになって慌てて待っていたバスに逃げ込んだ。 | |
フイリップ島はメルボルン南東122キロにあり、フェアリィペンギンの棲息地として有名である。 島のレストランで名物ロブスター料理の夕食中に雨が上がり、まん丸い月が出た。ちょうど満月である。 日が暮れると急に寒さを感じ、ヤッケを着た上に借りた毛布を巻き付けてサマーランド・ビーチに出る。 フェアリィペンギンは体長30センチほどの世界最小のペンギンである。日中は海にいて、日が暮れると巣のあるビーチに群れをなして帰ってくる。大勢の観光客と一緒に寒さを堪えて見守る中、日没後しばらくすると十数羽ずつがグループを作ったペンギンたちが帰ってくる。南氷洋に荒波に揉まれて、なかなか岸に近づけない。 (下右の写真は絵葉書よりコピー・下左は高感度で撮影) |
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行きつ戻りつしながら、やっと上陸すると人々のいるすぐ横を通って、小走りで懸命に自分の巣穴に帰っていく。 健気な姿に感動して、思わず頑張れよと言いたくなる。 帰りのバスでは南十字星と満月の競演が見られた。 |
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10月17日(金) 再び快晴の紺碧の空の下、最後の目的地・シドニーへ。 気温も上がり暑いくらいになる。 まず、ポート・ジャクソンに突き出した岬、ミセス・マッコーリーズ・ポイントに行く。 ここからの眺めは最高で、オペラハウスとハーバーブリッジはまるで絵葉書のような光景だった。王立植物園の向こうにシドニータワーやビル群が見える。シドニーの政治・経済の中心、シティである。 |
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オペラハウスに行く。 ペネロング岬の突端に建つ白タイル張りの優美な建物は、14年の歳月と1億2000万オーストラリアドルをかけて、1974年に完成したシドニーのシンボルである。 見る場所によってさまざまに変わるユニークな姿は、帆船をイメージしたとか、貝殻に似せたとか云われていた。しかし、最近の新聞報道では「デザインコンテスト優勝者」ウォッソンが、朝食に食べたオレンジからヒントを得たというのが真相だそうだ。 (2007年世界文化遺産に「人類の創造的才能を表現する傑作」として登録された。世界遺産の中で最も新らしい建築物である) |
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その後、シティとノースシドニーを結ぶハーバーブリッジに行き、歩道を少し歩く。 夕方の僅かな時間、ホテルからハイドパークまで散歩する。2000年シドニー・オリンピックを2年後に控え、市内はすごい建築ラッシュの様相だった。 |
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オーストラリア最後の夜はシドニー湾クルーズ。外輪船を模したショーボートのデッキに出ると、シドニーの夜景は宝石を散りばめたような眺めである。船内ではディナーを味わいながら、歌や踊りの豪華なステージを見る。さらには各テーブルを廻ってきたマジシャンが見事な技を披露するなど、とても楽しい夜だった。 10月18日(土〉10:50 シドニー発。19:00過ぎ関空着。6日後の24日、息子は春日大社で結婚式を挙げた。 |
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変愚院22の山と旅 | ペンギン夫婦お山歩日記 |