アンナプルナ展望トレッキング(1)

「ビスターリ、ビスターリ、ジョウン」ともすれば急ぎがちになる私たちの足を、山岳ガイドのミンさんがこういってセーブしてくれます。時には家内が教えた大阪弁の「ボツボツ、行コカ」も飛び出します。道で行き会った人達はじっと私の目を見て手を合わせ、「ナマステ」と挨拶します。服装は貧しいけれど、その笑顔は限りなく美しい。
 初めて来た土地なのになぜか懐かしい思いがするのは、ここが私たちの心の故郷なのだからかも知れません。牛が鳴き、鳥がさえずり、ゆっくりゆっくり悠久の時が流れます。ふだん忘れていた大切なものが、もう少しで見つかりそうなネパールの旅でした。


旅の始まり
1997年3月28日(金) ナヤプール14:20…ビレタンティ(1037m)14:50…ヒーレ(1524m)17:40

26日昼に大阪を発ち21時前、カトマンドゥに着く。昨日はトレッキング許可証発給の間に、市内をあちこち探訪した。今朝は48人乗りの国内便でポカラへ移動する。カトマンドゥから40分ほどの飛行だが右側に座ることができて、思いがけぬ高さに雲から突き出たヒマール(雪山)が見えた。 中に写真でよく見る特徴ある「魚の尾」、マチャプチャレを見分ける事ができた。ヒマラヤとの初めての出会いである。
今回のトレッキングをアンナプルナやダウラギリを見るコースにした理由は、初めて読んで感銘を受けた山の本が、H・ブールの「8000メートルの上と下」であり、ついでM・エルゾーグの「処女峰アンナプルナ」であり、アンナプルナが長い間の憧れの山だったからである。
 どうせならエベレストBCへ行きたいという和子を、初めてだからまずは簡単な所へと説得して実現した旅である。しかし英語もろくに話せぬ二人だけの旅に期待よりは不安が先にたつ。とうとうここまで来たという思いが深い。
(ポカラ空港→)
ポカラで山岳ガイドのミンさん(ムガール族)と合流、日本の海水浴場によくあるような汚い小屋の裏庭で昼食。

2時間後にやつとメンバー全員が揃い、
ナヤプールヘ向かつて出発。よく動くものと感心するボロボロのカローラで突っ走る道は全舗装で、思つたより快適である。2時間の予定を1時間20分で、トレッキングのスタート地点ナヤプールに着く。
ガイドのミン、コックのユーラッツ、キッチンボーイのカジ、油持ちダネイ(油は貴重品なのでポーターより上の階級)、中年ポーターのナーラニ、若いポーターのマイラと、6人もの人が私たち二人のために行動を共にする、大名行列が動きだす。河原に向かつて下る石段道は、ロバの糞だらけで油断できない。
 吊橋があり、人と一緒に山羊も牛も渡る。それほど揺れないのだが、橋の真ん中あたりで前の白人女性が怖がつてモタモタしている。 和子が行き詰まっているうちに、後ろからカッチャルの隊商が迫ってきた。和子の悲鳴で事態を悟った白人の相棒が、手を引っ張って怖がる女性を渡らせた。
終戦直後の生活を思い出させる村の中を通る。ついでグルンディ・コーラ沿いに緩い登り。やがて立派な金属製の吊り橋がある。今度は怖がる小山羊をオッサンが無理に引っ張って渡している。対岸はビレタンティでちょっと大きな村である。
 橋のたもとにチェックポイント。トレッキングパーミッションは旅券に代わる大事なもので(国立公園管理費として他の物価から見ると法外な1000ルピーを払っている)、道中何力所かで検間を受ける。
ここの係員は親切に台帳に記入してくれたが、ものの5分も歩くとあるポリスのチェックはなかなかのものだ。
 名前から目的地、旅券番号、許可書番号など数力所に記入しなければならず、和子が書いている途中で備え付けのボールペンのインクが切れた。 自分のペンを出すと書いてやろうと取り上げて、ブレゼントにくれという。これから要るからと断ると、腹立たしげに許可書とボールベンを投げてよこした。(こういう手はよく彼らが使うそうだ)
村を抜けるとブルンディ・コーラ沿いの道になる。小滝を見下ろし、河原を歩き、本谷出合から涸沢への道を思わせる山腹の登り。やがて山腹に畑地があリロッジやバッテイ(茶店)もあるヒーレに着く。ロッジ裏の草地に設営。といってもすべて人まかせ、自分の出る幕は全くない。
 下は完全に平らだし、心配していたトイレも手動(横に汲んである水で自分で流す。落とし紙は石油缶等に入れる)ながら水洗だし、北アの幕営地よりはずつと清潔で快適な泊地だ。 おまけに上げ膳据え膳で女房殿は命の洗濯だろう。
私たち二人用テントの横にミンのテント、コック達3人は炊事小屋に、ポーターは小屋の外壁にもたれて莫産に丸まつて寝る。(カースト制 はこういう事には実に厳格で、雨が降っても、いくら小屋にスペースがあっても絶対に一緒には寝ないし、食事も別に食べる。)

ビスターリ、ビスターリ

3月29日(土)ヒーレ7:25…ティルケトンガ7:40〜7:50…ウレリ9:30〜9:45…バンタンティ10:50〜12:20…ナンゲタティ14:00〜14:40…ゴラパニ16:00

トレッキングの朝はモーニング・ティーで始まる。ついで洗面器にお湯を入れて持つてきてくれる。ゆつくり食事(まずお粥、その後ナンとオムレツなど毎回違う献立)を済ませ、ガイドと出発。コック達は後片付けを済ませて、私たちを途中で追い抜く……という事になっているが、ペースが合わず毎日こちらが待たされる羽目になった。(いつもの山歩きの貧乏性が抜けないのである)。ともあれ今日はこのコースの山場。標高差1300m近く、一本調子の登りが続く日である。
まず石畳の道を15分でティルケトンガに着く。雨が降り出しゴアの雨具を出す。ここから長い長い石段道。蒸し暑く、額から汗が滴り落ちる。「デーレイガルミィ」たいへん暑い、「ビスターリ、ジョウン」ゆっくり行こう、などのネパール語を教えたりしながら、ミンは何とか私たちのペースを落とそうと努力する。判ってはいるのだが、どうもいつもの休憩なしで歩く癖が抜けない。
しかし、この登りは流石ハンパじゃない。登れど登れど石段が続き、見下ろすとヒーレもティルケも逢か下に見える。急な石段をカッチャルの一隊が降りてくる。登っていくガイ(牛)を追い越す。ここジョムソン街道は古くからの重要な通商路なのだ。道理で石段の上はガイ・コ(の)・グ(糞)やカッチャル・コ・グだらけ。
ウラリに着き、バッティで熱いミルク・ティーを飲む。10ルピー、ミンの分は5ルピーと現地人割引。(数年前は観光客も1ルピーだったそうな。ただしレートは6円だから、今の三分の一位か)。このチャが実に美味い。以後、生水は飲めないのでチャばかり飲んで、帰ってからもすっかり紅茶党になってしまった。 
更に続く石畳の急坂をバンタンティヘ。まだ11時前だがここで昼食。テント場に黒いククル(犬)がいる。ロッジの犬の仕事は、ガイが入ってグをしないように番をすることだとミンから聞いた。これだけ聞き出すのも大仕事である。私の英語もメチャメチャだが、ミンの日本語は本当の片言で英語も私より更にひどい。しかし何とかなるもので、表現を変えてみたりするうちに以心伝心でお互いに判ってしまう。
午後になっても雨は降ったりやんだりで、傘をさしたりすばめたり。しかし、真紅のラリグラス(シャクナゲ)が現れると、疲れを全く感じないで歩くようになった。さすがネパールの国花だけあって、その華やかさ、美しさは吉野山の桜に劣るまい。なにしろ木の丈が途方もなく大きい。色が濃い。更に数が多い。ある場所では山肌一面深紅に染め上げている。そんな林の中を辿っていくうち、雷を伴う雨が激しく降りだした。
 ゴラパニに着く頃は少し小降りになったが、泊地に水が溜まっているのでロッジに泊まることになる。

3月30日(日) ゴラパニ(停滞)
今日は最高所・プーンヒルに登り、ヒマラヤの日の出を見るのを楽しみにしていたが、夜中にまた激しい雷雨があり、朝から雪に変わる。ロッジの前の満開のラリグラスにも雪が積もり、前の山も美しい樹氷に飾られ、辺り一面銀世界に変貌する。この辺りでも季節はずれの大雪で珍しいのか、ロッジの主人が家族の写真を撮っている。私たちにネパール語を教えてくれていた子供達が、すぐ隣の学校に行った後 (ネパールでは土曜が休日)寝袋に入つて不貞寝。(→29日到着時の写真)
昼頃にいったん雪は溶けたが、午後も時々思い出したように降る。夕方、前の茶店がいやに賑やかだと思つたら、昨日、下の村であったサッカーとバスケットボール試合の祝勝会だった。男も女もバンシィ(水牛) の肉を肴に、飲めや歌ヘの大騒ぎ。その声に押されるように次第に青空が拡がる。夕食後、外に出ると凄い星空で、とくにヘール・ボッブ彗星は肉眼でもはっきりと判る大きな尾を曳いていた。大熊座のシリウスはここでも「ククルの星」と呼ぶそうだ。真夜中に目を覚ますと、アンナプルナ南峰が神々しく月光に照らし出されていた。

ヒマラヤのご来光

 
3月31日(月)
ゴラパニ(2853m)5:10…プーンヒル(3198m)6:00〜6:40…ゴラパニ 8:25…尾根の頭(3262m)9:25〜9:40…デウラリ(2278m)10:15〜10:30…バンタンティ11:45〜13:00…チョロムコーラ13:45〜13:55…タダパニ(2630m)14:20
私たちの祈りが天に通じたのか、雲一つない快晴の朝を迎えました。アンナプルナとダウラギリの展望台プーンヒルは標高3198m、北岳より僅かに高く、ゴラパニ(2853m)からは1時間足らずで頂上に立つことができました。
4時半起床、5時出発。防寒具とカメラだけを持ってプーンヒルを目指す。辺りはまだ暗く、星がきらめきヘッドランプの明かりに吐く息が白く見える。ゴラパニの村の石畳道から日本なら這松帯のような感じの所を、いろんな国の人たちと前後して登る。途中にゲートがあり、安全のために夜間は閉めるという表示がある。だんだん明るくなり、昇る太陽と競争するように急ぐ。小さな丘を二つほど見送って大きな展望台のある頂上に立ち、台地突端の雪の上でご来光を待つ。人は結構多いのに意外なほど静かなのは、みな息を潜めて貴重な一瞬を待っているのだろうか。
6時10分、ダウラギリの頂上がオレンジ色に輝き、その明るみが次第に下に拡がってくる。声にならないどよめきが起こり、やがて耐えきれないように感動の声が大きくなる。何度もここに来ているミンも、今日の好展望に満足げな笑みを浮かべて、山の名前を教えてくれる。北西からダウラリU、V、W、そして大きくT峰(8167m)、トクチェ・ピーク。
北東にかけてニルギリ、陰に隠れるように真っ白なアンナプルナT峰(8091m)、南峰、ヒウンチュリ。右端のマチャプチャレ(6993m)はやや逆光気味。ずらりとヒマラヤ・ジャイアンツが並ぶ光景はまさに圧巻。

8000m峰とは、ここからまだ5000m高いのだと改めて思う。この光景を心おきなくカメラに収め、日もやや高くなったので下山する。
ロッジに帰り朝食後、お世話になったこの家の人たちに挨拶して出発。プーンヒルとは反対側に雪を踏んで登っていく。ジンチョウゲやシャクナゲの林を抜ける広い尾根に出て、振り返るとダウラギリが見送ってくれていた。1時間で尾根の頭に出る。ここが今回の最高到着点の筈で、アンナ南峰も大きく見えるビューポイントである。シャクナゲとモミの大木が多い林を下リ、ダウラリに着き一服。
ここからは急でぬかるんだ雪溶け道となり、ポーターが足を滑らせて尻餅をつく。少し行くと気持ちの良い川沿いの道となり、バンタンティ着。尻尾が太くて長い猿が3匹、すぐ横の木にぶら下がつて遊んでいた。昼食中にカッチャルの行列が通り、私たちの食器を洗う容器の水を飲んでいった。ここから更にシャクナゲの木の根道を下る途中、深い谷を隔てて3日前に通ったウレリ村を見る。下に見えるチョロム・コ―ラめがけて急坂を下り、橋を渡って対岸の山腹の急坂を登る。少し厳しい道は30分ほどで終わり、今夜の幕営地・タダパニに着く。
やがてすぐ上のテント地に12名の大阪労山隊が到着。何度もヒマラヤ登山の経験があるリーダー・林さんの話では、サンクチュアリ(アンナ内院)も降雪が激しく、特にアンナ近くでは30分おきに表層雪崩が落ちていたそうだ。危険なのでコースを変えて明日、ゴラパニに登るということだった。

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